片貝・正四尺玉の開発秘話
片貝・正四尺玉の開発秘話
四尺玉の開発は、地元住民の熱い郷土愛と職人の執念が結実した、感動的な挑戦の物語です。
1984年:初めての挑戦(朗志会)
- きっかけは片貝中学校42歳学年の同窓会「朗志会(ろうしかい)」。
- 当時、誰も成功させたことのない四尺玉に「地元を盛り上げたい」という思いで挑戦を決意。
- 7月に**模擬玉(火薬の代わりに砂を詰めたテスト玉)**の試射に成功。
- しかし、本番の9月10日、打ち上がったものの筒の中で開いて失敗。
- この挑戦自体が評価され、サントリー地域文化賞を受賞。
- 失敗後、旧通産省により火薬量が80kgに制限されるという逆風も。
1985年:世界初成功(永遠会)
- 翌年、別の同窓会「永遠会(とわかい)」(片貝中学校第18回卒業生)がバトンを受け継ぐ。
- 片貝煙火工業の花火師・本田善治氏(当時の社長)が製造・打ち上げを担当。
- 1985年9月10日、見事世界初成功。
- 後日、ギネス世界記録に「世界最大の打ち上げ花火」として認定。
開発を支えた人々の想い
- 本田善治氏:片貝煙火工業の創業者。地元の花火屋を引き継ぎ、四尺玉の実現に人生を賭けた。
- 地元住民:中学校の同窓会が中心となって資金を集め、奉納。
「故郷を活性化させたい」「同級生が集まるきっかけに」という純粋な思いが原動力。 - 当時中学生だった本田正憲氏(現社長)は、「どうやってあれが空に上がるのか想像もつかなかった」と語っています。
技術的・精神的な難しさ
- 当時は計算機も少なく、手作業と勘に頼る部分が多かった。
- 製造期間は10ヶ月近く。火薬を長期間扱う危険性とプレッシャーが極めて大きかった。
- 1回の失敗で巨額の費用と努力が無駄になるリスク。
この挑戦は、「不可能を可能にした地元愛の物語」として、今も語り継がれています。
1985年の成功以降、四尺玉は片貝まつりの象徴となり、毎年2発が奉納される伝統となりました。
四尺玉は技術だけでなく、人々の想いと絆で生まれた花火だと言えます。