論文 排泄ケアにおける尊厳の保持と社会システムの課題 ~「おむつ」をめぐる心理的・文化的考察~

NHK大阪のディレクターから取材を受けた内容をまとめて論じてみました!

排泄ケアにおける尊厳の保持と社会システムの課題 ~「おむつ」をめぐる心理的・文化的考察~

社会医療法人崇徳会地域総合サービスセンター

排泄ケア総合研究所(排総研)代表 山口勇司

はじめに

現代の長寿社会において、おむつに代表される排泄ケ現代の長寿社会において、おむつに代表される排泄ケア用品は、高齢者や要介護者の生活維持に不可欠な基盤となっている。しかし、その利用は単なる生理現象への対応にとどまらず、個人の尊厳やアイデンティティと深く結びついた複雑な課題を内包している。利用者が示す心理的抵抗は、介護現場における重要な課題の一つであり、その背景には個人の内面的な葛藤に加え、ケアを提供する側との関係性や、社会文化的な規範が複雑に影響していると考えられる。

本稿は、おむつの使用に伴う心理的抵抗の要因を分析し、ケアの現場で求められる尊厳を保持するためのコミュニケーションのあり方を考察する。さらに、日本の文化的な背景を考察し、排泄ケアの課題を通して、これからの社会が目指すべき方向性を提言することを目的とする。

 

1. 排泄自立の喪失に伴う心理的抵抗とその要因

高齢者がおむつの使用に抵抗を示す事例は、介護現場において頻繁に報告されている。これは単なる物理的な不快感によるものではなく、その受容が個人の心理に与える深刻な影響に起因する。主要な要因として、「自立性の喪失」と「羞恥心」が挙げられる。

排泄の自立は、人間が自己の身体をコントロールできているという感覚の根幹をなす。おむつの使用は、このコントロール能力を失い、他者に依存せざるを得なくなったという事実を象徴的に示すものである。この「自立の喪失」は、自己評価の低下や役割喪失感を引き起こし、抑うつ的な心理状態に繋がりかねない、深刻な心性の危機である。

加えて、排泄行為が有する極めて高いプライベート性は、強い「羞恥心」を喚起する。特に家族によるケアの場合、親子関係や夫婦関係といった既存の関係性の中で、かつては自立していた自身の「衰えた姿」を露呈することへの屈辱感が、頑なな拒否を生む一因となる。

介護実践家の三好春樹は、介護における「関係障害」という概念を提唱し、例えば認知行動を単に「わかろう」としても一方的な理解となり限界がある。尊厳を傷つけないように「関係性の中で意味のある反応」として捉え「かかわり・寄り添う」ことが重要であると説いている(三好, 2009)。排泄ケアはまさにこの関係性が問われる場面である。すなわち、おむつへの抵抗は、失われゆく自己の主体性を守ろうとする、人間の根源的な防衛反応の一形態と捉えることができる。

 

2. ケアにおける尊厳保持とコミュニケーションの重要性

在宅介護、特に介護者・被介護者双方がその状況に不慣れな初期段階においては、両者の関係構築が極めて重要となる。ケアの提供が「する側」から「される側」への一方的な行為として固定化されると、被介護者の尊厳は損なわれやすい。

この課題に対し、フランスで開発されたケア技法「ユマニチュード」は重要な示唆を与える。イヴ・ジネストと本田美和子(2016)が提唱するこの技法は、「見る」「話す」「触れる」「立つ」を4つの柱とし、相手を対等な人間として尊重する哲学に基づいている。排泄ケアの場面においても、利用者の正面から目を見て、穏やかに話しかけながら、明確な目的を持って触れるといった具体的な技術は、ケアが管理や作業ではなく、人間的な関係性の構築であることを示す。このようなアプローチは、被介護者をケアの客体から、共同で課題に取り組む主体へと変える力を持つ。

具体的なコミュニケーションとしては、「おむつを替えましょう」といった命令・指示的な言葉ではなく、「すっきりするために、新しいものに替えませんか?」といった提案・問いかけの形を取ることが推奨される。社会学者の上野千鶴子(2015)が論じるように、介護とは生活の行為を代行するだけでなく、その人らしさや主体性を最後まで支える営みであり、このような配慮がその実践に他ならない。

 

3. 介護観の文化的背景と社会システム

排泄ケアに対する心理的抵抗の強さには、その社会の文化的な規範が影響している可能性がある。日本社会においては、他者への迷惑を極度に回避しようとする規範意識、いわゆる「恥の文化」が根強く存在すると言われる(土居, 1971)。この文化は、自己の弱さや困難を他者に開示することへの強い抵抗感を生み出し、排泄の失敗や介助の必要性を「個人的な恥」として内面化させやすい構造を持つ。その結果、必要な支援を求める声が抑制され、問題を一人で抱え込む傾向を助長しているのではないか。

これに対し、例えば北欧諸国に代表されるように、社会福祉サービスを「慈善」ではなく「市民の権利」として捉え、社会全体で支える思想が根付いている社会モデルも存在する。こうした社会では、介護を受けることへの心理的障壁が相対的に低い可能性も考えられる。

もちろん、これは単純な二元論で語れるものではない。しかし、介護や依存をめぐる社会的な意味づけが、個人の心理に与える影響は無視できない。日本の介護保険制度が発展する中でも、介護人材の不足やサービスの質の確保といった課題は山積しており、利用者が真に尊厳ある生活を送るための社会システム全体の成熟が求められている(結城, 2018)。

 

おわりに ―目指すべき社会像と我々の使命―

本稿では、「おむつ」という具体的なアイテムを起点に、排泄ケアにまつわる心理的、関係論的、文化的な課題を考察した。そこから見えてくるのは、私たちが目指すべき社会の姿である。

第一に、「選択の尊厳」が保障される社会である。画一的なケアではなく、本人の状態や意思に基づき、おむつ、トイレ誘導、先進技術の活用など、多様な選択肢が提供され、専門家と共に最善の方法を自己決定できるシステムが求められる。

第二に、ケアの専門性と文化が成熟した社会である。ユマニチュードのような尊厳を支えるケアの哲学と技術が、専門職の標準スキルとなるだけでなく、家族介護者にも広く共有される必要がある。介護を「世話」から、人の尊厳を支える高度な専門的実践へと社会全体の認識を高めることが不可欠である。

第三に、「弱さや困難」を開示し、支え合えるオープンな社会である。「人に迷惑をかけたくない」という気持ちが重荷にならず、困ったときには遠慮せず助けを求められる文化の醸成が急務である。

これらを実現するためには、より具体的な社会制度への実装が不可欠である。排泄ケアは、単なる介護の一分野ではなく、生命の根源的な機能を維持するための重要なケアである。その重要性に鑑み、例えば義務教育課程での福祉教育や、病院退院時の指導プログラムに、尊厳を守る排泄ケアの基礎知識を組み込むといった制度的アプローチも検討されるべきである。

我々に課せられた使命は、快適性を追求する技術開発は勿論のこと、科学的根拠に基づいたケア「EBCCevidence-based continence care)」を社会全体で追求することにある。そのためには、専門的な「排泄ケア相談員」のような人材を育成し、介護職から家族まで、知識と技術のすそ野を広げる地道な努力が求められる。さらに、排泄ケアに関する一般市民への教育・啓蒙活動や、具体的なトレーニングの機会を設け、地域社会に根差したサポート体制を構築することが、今まさに必要とされているのである。

排泄の自立は尊い。しかし、たとえそれが困難になったとしても、人間の尊厳が失われるわけではない。おむつを使うか否かという問題の本質は、どのような状態になっても、誰もが尊厳を保持され、安心して生を全うできる社会をいかに構築するかという、私たち全員の課題なのである。

 

【参考文献】

      ケアの社会学、上野千鶴子、太田出版、2015

      データで学ぶ「生活保障のストラクチャー」―社会福祉・社会保障、結城康博、法律文化社、 2018

      ユマニチュード入門、ジネスト, Y., & 本田美和子、医学書院、2016

      「甘え」の構造、土居健郎、弘文堂、1971

      関係障害論―「わかる」から「かかわる」へ、三好春樹、雲母書房、2009

      排泄ケア総合研究所(排総研)教本、山口勇司、販売者:Amazon Services International LLC2023/6/6

      排泄ケア総合研究所(排総研)教本【特別企画】経営手法の排泄ケアへの適用、山口勇司、Amazon Services International LLC2023/8/10

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